酒井正保 著「上州最後のマタギたち 聞き書き」 群馬県文化事業振興会 発行
本著の特徴
群馬県における狩猟民族の調査研究は農耕民俗にくらべあまりされていなかった。その理由として日本民俗研究巨匠の柳田国男先生が農耕民俗中心主義が理由とされています。著者が群馬県狩猟民俗調査を昭和30年から始め、聞き取りだけでなく実際に同行したフィールドワークが中心となっています。当時は古い狩猟方法が伝授されていて近年では禁止となっている狩猟方法や猟師(マタギ)たちの文化・習慣などが垣間見える資料となっています。本書では代々マタギの家系に生まれ、マタギの伝統を守ってきた9名の方たちを取り上げています。
・松井田町入山の狩猟(初回採集日昭和38年10月22日)
・片品村の狩猟 (初回採集日昭和47年10月20日)
・上野村の狩猟 (初回採集日昭和36年8月26日)
・利根村の狩猟 (初回採集日昭和48年8月11日)
・下仁田町岩山の狩猟 (初回採集日昭和47年3月26日)
・中里村(現・神流町)の狩猟 (初回採集日昭和45年12月15日)
・南牧村の狩猟 (初回採集日昭和48年8月18日)
・桐生市梅田町の狩猟 (初回採集日昭和46年3月8日)
・水上町藤原の狩猟 (初回採集日昭和45年10月21日)
マタギとは?
簡単にいえば「狩猟を専業とする」と定義されていますが銃を使う現代においても一般的な猟師(ハンター)とは区別されています。その理由はその集団内で共有される宗教観や倫理観が独特であり、狩猟免許をとったからといってマタギになれるわけではありません。「マタギ」から連想されるものとして有名なのは秋田県の「阿仁のマタギ」は代表例で矢口高雄氏の「マタギ」にも登場してきます。
その他にもズバリ「マタギ」という映画もあります。
いずれも一般的な現代人からすると理解できない価値観や慣習をもっていて「絶滅寸前」といってもよい職業になりつつあります。そういう意味で本著は現代社会において消えゆく「マタギ」、とくに群馬県のマタギ、の第1次的資料として価値があると思われます。
桐生市梅田町の狩猟 (初回採集日昭和46年3月8日)
すべてを紹介すると大変なので「桐生市梅田町の狩猟」のみご紹介。聞き取りした方は小島正次郎氏で明治39年生まれ(1906年)、もしご存命なら105歳です。調査開始が昭和46年なので当時でも66歳のはずです。本書の特徴として聞き取り調査に協力してもらった方は毛皮を着こんだような「ザ・マタギ」的な雰囲気はなくどちらかというと普通の方という印象を受けます。そのほうが誇張しない当時の状況を知ることができると思います。桐生市梅田町の狩猟は下記の内容になっています。
- ツグミ猟
・トヤ場
・オトリの飼育
・トヤ場づくり
・網張りとオトリの配置
・ツグミの実猟
・トヤ場と博奕
・古いツグミ猟
・梅田最後のツグミ猟
・信仰 - 鹿猟
・鹿の単独猟
・マケ鹿猟
・マケ鹿猟の実猟
・獲物に運び出しと肉の配分
・禁忌と信仰 - 熊猟
・冬眠熊の巣穴探し
・冬眠熊の実猟
・心に残る仔持ち熊のこと - 猟師ことば
ツグミは現在、カスミ網猟の禁止と非狩猟鳥獣になったためほぼ捕まえることができません。ネットで調べると猫が捕まえてきた等もでてきますが原則、捕まえることは違法です。その意味でもツグミ猟の実態は貴重な資料となります。トヤ小屋(ツグミ猟師たちが猟期中に常駐する小屋)を利用して博奕場になっていて、八十八夜前日には東京から一流の博徒が群れをなしてやって来たとあります。
かつての梅田地区では「博奕のできない男はバカ野郎かヤクザ野郎で、一人前でねえ」といわれた。
桐生市梅田町の狩猟 P207より
ツグミ猟は昭和22年(1947年)にかすみ網猟禁止とともに 非狩猟鳥獣 扱いとなったのですが昭和23年(1948年)にアメリカ軍の要請で調査名目として梅田の山2か所でツグミを捕獲・調査した経緯がのべられています。
梅田町でよくみかけれる鹿猟も単独猟とマケ(集団)鹿猟の様子であったり熊猟についても記載があります。熊猟は一般的な猟のイメージではなく冬眠中の熊をしとめるというもの。小島正次郎さんのお話しによると巣穴にいた熊を撃ったが逃げられてしまい、巣穴にいた二匹の仔熊を家に持ち帰って牛乳を飲ませた。翌日、巣穴にいくと母熊が戻ってきており、襲ってきたので仕留めてしまった。
「家に帰ってきて仔熊のけなげな振舞を見るなり、こいつらぁの母親ぁやっちゅうまって、オヤゲネエ(可愛そう)なことをしてしまったと、身をつまされましたヨ」
桐生市梅田町の狩猟 P219より
この仔熊たちは太田市の大光院(子育て呑龍さま)に引き取られたそうですが呑龍公園にある檻はその名残なのでしょうか?
感想
桐生市梅田町では現在も狩猟シーズン(日本の猟期は原則11月15日~翌年2月15日)になるとオレンジ色の服をまとった方を山中でお見かけします。しかし害獣駆除や趣味としての要素が強く、生業とするには程遠いのが現状です。昭和30年あたりからの風習等はちょっと前までは当たり前すぎて調査対象にならなかったため資料がすくないことも多くありません。そのような意味でいわゆる普通の生活を収集してもらった意義は今となっては大きいと思います。
奥付
平成16年(2004)9月23日発行
著書 酒井正保(さかいまさやす)
発行者 石川羚二
発行所 群馬県文化事業振興会