桐生市梅田町散策

桐生市梅田町散策
高沢川にかかる梅田橋手前の風景

群馬県道・栃木県道66号桐生田沼線を桐生市本町から梅田湖(桐生川ダム)に向かって北上すると梅田橋がでてきます。桐生川本流ではなく支流の高沢川(こうざわがわ)にかかる橋のためあまり知られていませんがここを起点に散策してみました。今気が付きましたがルート66ですよ。

高橋橋の由来とお地蔵様

高橋橋

梅田橋の手前(南側)で鳴神山登山口の方向に群馬県道343号沢入桐生線(そうりきりゅうせん)が交差していますので高沢川沿いに北上。すると最初の橋が右手にみえてきます。昭和46年完成とありますが橋そのものはその前からあったようです。ちなみに高橋橋の由来は高いところにある橋とのことでそのまんま。

橋の左岸にあるお地蔵様
橋の左岸にあるお地蔵様

橋の左岸にお地蔵様が鎮座しています。ちなみに川の左岸とは上流から下流に向かってみた場合、左側なので下流からみると右側になります。高いところにあった橋のため転落事故が絶えないためお経を橋のたもに入れ地蔵様を祭ったそうです。(出典 清水義男著「桐生の民話」より)

高澤院(高沢院)は近くの高圓寺とは別のものらしく現在は存在しません。台座の文字も比較的読みやすく地元の方が手入れしているものと思われます。

高橋橋下の淵

高橋橋下の高沢川は切り立った崖になっています。(写真はまだ緑のすくない5月のもの)この高さから落ちたらひとたまりもないでしょう。

曹洞宗 鶴松山 高圓寺(かくしょうざん こうえんじ)

曹洞宗 鶴松山 高圓寺(かくしょうざん こうえんじ)
曹洞宗 鶴松山 高圓寺(かくしょうざん こうえんじ)

高沢川を渡って寺前団地の住宅街を抜けると曹洞宗 鶴松山 高圓寺(かくしょうざん こうえんじ)が見えてきます。開山は室町応永年間(1394~1428年)で永平寺道元禅師の7代玄翁和尚の直弟子で松堂長源和尚とあります。よくはわかりませんけど。

高圓寺看板

高圓寺は名馬「池月(生食とかいていけずきと読んだりも)」で知られています。桐生民話によると宇治川の先陣争いをした佐々木高綱の乗馬として有名。なんでもこの寺の池で洗っていた馬があまりにも素晴らしく領主・桐生綱元が源頼朝に献上したとのこと。ちなみ先陣をあらそった梶原景季の乗馬は磨墨(するすみ)。調べると「池月」の産地には諸説あり東北から九州までと諸説入り乱れています。そこにツッコムのは無粋というもの。

丸々太った錦鯉が悠々と泳ぐ池。滝になっていそうな石がありましたが見に行った時は流れもなく鳥害から鯉を守る線が池に張り巡らされております。

高圓寺本堂

本堂は大きいですね。幾たびかの火災で現在のものは昭和37年のもの。

梅田カルタでは「名馬産む池月の池高園寺」と詠まれています。梅田カルタはマイナーすぎて私も聞いたことはありますがみたことはありません。群馬県民はカルタ好きですね。

護国神社へ

護国神社の石段より下を望む
護国神社の石段より下を望む

高圓寺にいった目的は池月をみるだけでなく裏山にある二渡山(ふたわたりやま 347.5m)に行ってみることにあります。高圓寺の裏から山の途中にある護国神社へ行けると「山のまち桐生(記事はこちら)」でみてそのルートで登頂を目指します。桐生市の護国神社は出自がよくわかりません。周辺に忠霊塔やら凱旋記念碑があったりしますので愛国あふれる村だったのでしょうか?

高圓寺の裏は山に沿って墓地になっています。そこを登ると作業道のようなものはありますが道らしき道がありません。帰りに気が付きましたが道を間違えてました。神社方面に向かうと本殿のあったところに出るはずが石段の途中にでてしまいました。なんでも石段は360段とか370段とかいわれていてかなりハードです。

護国神社石段

さすがに急なので途中休憩をいれながら登ります。

  • 護国神社

ようやく登ってみるとなにもない・・・あとで調べてみると2017年に放火で全焼してしまったとのこと。

産経ニュース
桐生タイムス

産経ニュースでは自衛官が放火とありますが後日の判決(桐生タイムスより)をみると自衛官は主犯格ではないようです。現職自衛官が犯罪というほうがニュースになると判断したのでしょう。ニュースに間違いがなければ主犯格の介護職員のほうが猟銃を盗もうとか結構ひどいことがわかります。

それにしても寛政十年と刻まれた秋葉山の石灯籠が皮肉にも健在で哀愁を誘います。

また対岸の栗生山を見る

ここから二渡山に行けるとありますが前述の「山のまち桐生」とは大きく様相が変わっているのでしょう。本殿跡の裏には石祠が健在でしたので裏に回って尾根伝いに山頂を目指します。

道らしい道はありませんが藪もないのでひたすら登る。楽しいルートかといわれても景観もなにもない。

山頂につくと眼下にみえた高沢地区のテレビ共同受信アンテナが鎮座してました。設置の方も登ったのでしょう。大変だったと思います。

二渡山山頂その3

山頂の景観も緑に覆われていて下の護国神社のほうがずっとマシでした。高沢川と忍山川に挟まれた「二渡山脈?」の南端で作網山・持丸山と稜線に沿っていけるようですが今日はここで下山します。山登りは軽井沢の離山以来でした。

高圓寺の裏の華心庵

高圓寺の裏の華心庵

二渡山を下りて護国神社まできましたが石段を下りるのが嫌だったので高圓寺の裏にあるという華心庵ルートで高圓寺へでることにしました。登るときは気がつきませんでしたが護国神社頂上からみると山を高圓寺方面へ向かう道のようなものが見えますので確信はないが行ってみることに。

山を下りると高圓寺の裏(山門入口から本堂を正面にみて左側)の墓地へでました。治山工事をしたようなところがあって進むと単管パイプで手すりがあり道を確認。藪とクモの巣が凄いのですが行けそうなので覗いてみる。展望台あるいは休憩所と思しきものに華心庵とかかれた看板のついた庵を発見。ながらく使用されていないようで景色もほぼ見えず。ツツジが咲くらしいのですがこの時期では道を探すのも大変でしょう。

高圓寺から入って護国神社、二渡山経由でまた高圓寺に戻ってきましたが反対側へでていたので2度目の拝観。「高圓寺」は「高円寺」の旧字体と思っていましたが地域は「高園寺」なんでしょうか?また宿題が増えてしまったようです。

栗生坂へ

栗生坂

高圓寺から県道66へ戻り桐生の市街地方面へすすむと栗生坂です。写真にみえる住宅街は桐生川ダム建設のため移転してきた人たちだそうです。

狐が人を化かすのは日本共通の事象のようですね。今のところ夜走っても狐には出会いません。夜出会う野生動物はシカばかり。

彼岸花 ヒガンバナ

このあたりは道端に彼岸花(ヒガンバナ)が咲き乱れています。まるでツツジのように赤く染まっています。個人的には彼岸花と聞くとあの毒舌漫談家を思い出します。

あぜ道に彼岸花がさいているようです(1:16あたり)

梅田忠霊塔

梅田忠霊塔への入口

栗生坂の上に梅田忠霊塔への入口があります。クルマで走っていても看板がないので気がつきませんよね。

階段途中にある石碑

最後に梅田忠霊塔をみて今日はおしまい。ここから栗生山に登れるそうですが後日にします。

当たり前ですが誰もいません。忠霊塔の隣の建屋は納骨堂なのか倉庫なのか不明ですがすでに屋根が崩れています。戦没者もほとんど判別できません。忠霊塔の左裏から栗生山へのルートがあるようですが藪がすごくてみえません。

梅田忠霊塔の裏側

梅田忠霊塔の裏側を除くと「陸軍大臣 東条英機 謹書」とあります。東条英機の陸軍大臣就任は1940-1941年なので結構めずらしいんじゃないかな。大山巌などは何度か見ましたが東条英機は初めてみました。こんな山奥の里にも70年近く前のものが残っているとは。いやむしろ山奥だから残っているのかも。

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