川嶋伸行「桐生を目指した百貨店」桐生の歴史調査報告

川嶋伸行 発行
2022年3月9日 発行

以前、ご紹介した「きりふのしおり」「きりふのしおり二」につづき、桐生の歴史調査報告「桐生を目指した百貨店」が川島伸行氏より上梓されていましたのでのぞいてみました。発行は2022年(令和4年)と桐生市立図書館の郷土史コーナーでは比較的あたらしいものです。

桐生市本町通りには三越があったり、現在、寿司・海鮮料理の美喜仁が営業されている建物は高島屋だったとかいわゆる全国展開している百貨店やよそ者には聞いたことがないデパートまで桐生に関係する百貨店をまとめた本になります。桐生の商業・工業の歴史を振り返ると織物ばかりでしかもここ100年以内の商業史をまとめたものは意外と少ないのではないでしょうか?

目次

  • はじめに
  • 第一部 桐生を目指した百貨店
    三越、松坂屋、白木屋呉服店、高島屋ストア、東武百貨店
  • 第二部 桐生で創業した百貨店
     白木屋洋品店、矢野呉服店、モリマサ百貨店、大松百貨店、桐生デパート、丸卜百貨店、桐生中央デパート
  • 第三部 桐生のショッピングセンター
     長崎屋、いせや、マルゼン、西友ストア、田原屋
  • 資料
  • あとがき

第一部 桐生を目指した百貨店

第一部が全国展開している百貨店がテーマ。現在の桐生にある百貨店といえば本町通りの奥、天満宮のほうにある三越だけでその三越も失礼ながらやっているのかやっていないのかよくわからない。地方によくありがちなギフト専門店のようなもの程度に思えてしまいます。消費者目線でみるとそのように感じてしまいますが桐生の三越(正式には三越サテライト桐生店)はもともと越後屋が織物を仕入れるためのお店であったというのが経緯です。

第一部はこうした全国区百貨店の歴史をふまえながらなぜ桐生に出店したのかなどを述べています。さきほどの三越の他に現在の美喜仁館桐生店はもともと高島屋があったビルであるぐらいしか足跡を残していません。とはいえさすがに全国区の百貨店のせいかこの本の半分を占めるほど充実した内容です。

少々紛らわしいのが白木屋呉服店(日本橋にあった)と白木屋洋品店(第2部で紹介されている)があるのでややこしい。前者は現在ではどちらかといえばビル火災で有名になってしまっている以外は記憶から遠ざかってしまっています。

今となっては地方の少々大きい都市ですら百貨店は大苦戦しているようですので桐生規模の商圏にこれだけの百貨店が軒を連ねることができたのはやはり織物の産地であり、仕入という商売上、必要不可欠な要素があったからでしょう。特に今のようにネットで仕入できるというものではなく組合に名を連ねることが重要な時代であればなおさらです。

第二部 桐生で創業した百貨店

第2部は桐生が発祥の百貨店です。中にはデパートと名称にはいっているので記載したというものもあります。この中でも白木屋(洋品店)と矢野デパート(呉服店)に重きを置いた内容です。ここは地元ならではのネットワークが存分に発揮されています。今のシロキヤ書店ビルについても記載があります。

情報は少ないながらのその他の百貨店(モリマサ百貨店、大松百貨店、桐生デパート、丸卜百貨店、桐生中央デパート)も概要をとらえるには十分です。

第三部 桐生のショッピングセンター

店舗の形態、百貨店、デパート、スーパー、ショッピングセンターなどなんとなくは区別できるが具体的に定義しろといわれるとかなり曖昧にならざるを得ません。昭和後半からダイエーに代表されるような安売りを主にしたスーパーマーケットが巨大化していくなかで桐生にも当然、百貨店ではない業態が出店してきます。

桐生のスーパーといえば今はドン・キホーテになっている長崎屋と田原屋(のちに田原屋パシオス桐生店、ファッションプラザパシオス桐生店に名称変更)でしょうか?

時代は安売りが正義となり、地域はクルマ社会へ変貌するなか地方の百貨店はたちゆかなくなりその穴を埋めるように登場したスーパーもその例外ではなく時代の変化ととも移り変わっていきます。現在、桐生で大きい商業施設といえば旧長崎屋のドン・キホーテとマーケットシティ桐生ぐらいになっていましました。将来的にはこの本の第4部がでてきてもおかしくはないかもしれません。

まとめ

地元のトピックをテーマにしているものなので当然、名称を知らないと読んでもさっぱりわからないことが多い郷土史の中でもこちらは個別に施設(店舗)を時系列に歴史をふまえて述べられているので非常に他地域から来た人でもわかりやすい内容になっています。桐生にはこんなお店があったんだと地元の方なら郷愁を覚えることかもしれませんが未知の人にとっては新鮮です。これから昔を知らない世代も出てくると思うので貴重な内容でした。

巻末の「校閲をおえて」の中に

織物産業で反映していたとはいえ、デパートを継続させる経済力が桐生にあったとは考えにくい。資本家たちに、桐生は実力以上の経済力がある都市と過大評価されていなのではないだろうか。

校閲をおえて 山本輝通 より

桐生は繁栄していたとよく聞きますが本当に桐生は繁栄していたのだろうかという疑問はいつも感じています。京都人に通ずる、すこしばかり排他的でプライドの高いといわれる桐生人のイメージがそうさせているのかもしれません。

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