河原井源次 編著 「小さなつぼみが大きく花開いた 桐葉楽団の歩み」

桐葉楽団の歩み

最近はスマホ老眼のため、めっきり本を読む量が減りました。そこでみんな大好き100均で拡大鏡なるものを入手したら意外とよかったです。今回は桐生市立図書館にあった「桐葉楽団の歩み」をピックアップしました。コロムビアローズ(初代)が桐生出身ということは知っていましたのでペラペラとめくりながら持ち帰ってきた次第です。

桐葉楽団とは?

桐葉楽団とは何だと思いながら読んでみてもいっさい解説がありません。またネットで調べてみてもほとんどでてきません。そもそも桐葉楽団の読み方すら不明。おそらく「きりようがくだん」で良いのだと思うのですが確証はなし。数少ない情報(ネットも含む)から推測するに

  • 著者でもある河原井源次氏が戦中(昭和15年3月)につくられた楽団
    ※「ベビーアンサンブル」(昭和12年3月)・「ホワイトシンフォニックバンド」に改称(昭和13年3月)を経て桐葉楽団となる(年表より)
  • 戦中は陸軍病院や軍需工場を中心に慰問・慰安演奏を行う
  • 戦後はコロムビアローズや朝倉ユリが歌手としてメジャーデビューすると後援会を組織

と要約できそうです。1000冊発行された自費出版のようなので活動を全く知らない人向けというよりは関係者に配布する記念本・社史のような位置づけでしょうか?それでも昭和60年発行で3,000円と書いてありかなり高額と思われ、経年劣化はありますが紙の質もよく、写真も多用されているので比較的読みやすかったです。

著者略歴

巻末に著者である河原井源次氏の略歴がありました。

大正7年 桐生市生まれ
昭和14~21年 中支・北支・南方転戦
昭和21年 復員

株式会社河原井商会
河原井ホンダ株式会社代表取締役としてブリヂストン自転車・ナショナル自転車・ホンダ二輪車 群馬県総代理店として現在にいたる

著書 「自転車の歴史とバイクモーターの誕生」「写真の普及発達と日露戦争」「早取写真師 江崎礼二」

略歴からみるに現在のホンダカーズ桐生中央(株式会社 ホンダパルカワライ)につながるのかな。

こちらも少ない情報をもとにすればやり手の実業家で文化活動に力を入れていた方だそうです。このあたりの話しは

特定非営利活動法人桐生地域情報ネットワーク」 の古いほうのサイト(旧HP)に記載されています。

新あすへの遺産 桐生織物と撚糸用水車の記憶
第5章:夢を紡ぐ 祭事起隆人

コレクターとしても有名な方で

北関東蓄音機倶楽部 Gramophone Club of North Kanto サイトの「気骨のコレクター、故河原井源次氏」にも一部が垣間見えます。

第1章 桐葉楽団の歩み

「桐葉楽団の歩み」とありますがアルバムのような構成で誰がどのように誕生させたかはほとんど記載がありません。当時の時代背景と慰問演奏などの写真が時系列的に掲載されています。漢口陥落時の祝賀会や新川球場での皇紀2600年式典の様子など当時を知ることができる写真は貴重かもしれません。

桐生にあったというモリマサデパート(現・桐生さくらや、モリマサ百貨店という表記もあり)前の写真。もはやモリマサデパートを調べても丸木位里(いり)と丸木俊(とし)夫妻による「原爆の図」の企画展しかネットでは痕跡を残していませんでした。
※全国で巡回展示された際、モリマサデパートで1951年に展示されており、2021年に大川美術館で70年ぶりに桐生に帰ってきたという内容です。

第2章 楽団の人達

この章は楽団メンバーがひとりずつ紹介されています。必ず生年月日と住所、電話番号まで記載されているのは時代を感じます。

第3章 朝倉ユリ

第3章と第4章は朝倉ユリとコロムビアローズをそれぞれ扱っています。とはいっても桐葉楽団とおふたりのつながりがどのようなものだったのかなどはいっさい書かれていません。朝倉ユリさんについては実は私もまったく存じあげなくて今回の件でYoutubeなどで聞いてみました。Wikipediaもないためこの方も情報が少ないですね。今だとエラバレシの朝倉ゆりさんのほうがでてきてしまうのでなおさら。

来歴はこのページの「娯楽よみうり」からの抜粋のみ。本名は朝倉有利恵、群馬県立桐生女子高校卒で足利出身ぐらいしかわかりません。終わりのほうに朝倉染布株式会社90周年記念式典(昭和57年10月)の写真があるのでこの朝倉染布さんのご親戚なんでしょうか?

レコードや映画も多数でられているのに情報が少なすぎますね。私は気に入りましたけど。

第4章 コロムビア・ローズ

ボンちゃんとツーショット

コロムビアローズ(本名 斉藤マツ江)については桐生出身の歌手ということで地元では有名でまだご存命です。ネットでもかなり情報が入手できます。今となっては「東京のバスガール」が有名ですが実は本人はそうでもないとのお話しも載っていました。もともとは桐生市役所に勤務されていたようでその後の石井経理に入所という経歴でこの時代の写真もあります。

名曲堂

歌以外にも当時の様相を映したものが残っています。私は昔からの人間ではないのですがこの名曲堂は本町5丁目交差点あたりにあったと思われます。

Googleストリートビューより

ちょうど右手のメガネの小野眼さんの隣にあったのではないでしょうか。同じ構図で1970年代のようすが「ぐんま懐かし保存会」さまにありましたのでこちらをご紹介しておわります。

1970年代 桐生市本町5丁目交差点の様子

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