服部修 「我が愛する郷土 桐生百景」非売品

我が愛する郷土 桐生百景
我が愛する郷土 桐生百景

群馬印刷所 印刷
1977年10月27日 発行(昭和52年)
著書・編者 服部修(はっとりしゅう)

著者の「服部修」氏で検索すると別人が多数でてきますがこちらは大正3年生まれの方で余暇に絵をかいていた日曜画家です。(著者紹介より)
桐生百景は1965年(昭和40年)の企画・調査からはじまり1966年(昭和41年)から制作。1971年(昭和46年)の桐生市市制50周年に協賛した個展を開くなど「我が愛する郷土」をテーマに朝日新聞、北関新聞やNHKで紹介されていたとのことです。

つまりこの本は服部修氏が仕事の合間を縫って描かれた郷土桐生の作品の集大成が出版されたものです。非売品となっているのはそうした経緯からでしょうか。(桐生市立図書館にて貸出可能)作品のみならずそれぞれの絵にまつわる逸話などもあわせて掲載されています。惜しむらくは大半がモノクロになっている点ですね。

とはいえ昭和52年発行で描かれたものは昭和40年代なので昔のことを知る資料のひとつとして借りてみました。

入飛駒尋常小学校(いりひこまじんじょうしょうがっこう)について

梅田湖で釣りをしていると「学校跡(ガッコウアト)」というポイントがでてきます。ここに学校があったのでそのように呼ばれています。今となっては石垣が残るのみです。書籍を借りたのはここの話しが載っていたからです。この学校は少々ややこしいので簡単にまとめると

  1. 桐生川左岸(東側)は栃木県田沼田沼町であった
    ※同じく桐生市菱町は栃木県足利郡菱村だった(1959年(昭和34年)越県合併し桐生市へ編入)
  2. 明治41年 飛駒尋常小学校
  3. 昭和16年 飛駒国民学校
  4. 昭和22年 飛駒村立入飛駒小学校
  5. 昭和31年 田沼町立入飛駒小学校
  6. 昭和43年 栃木県田沼町入飛駒を越県合併し桐生市へ編入
  7. 同年 桐生市合併と同時に田沼町立入飛駒小学校 廃校

栃木県の学校だったが越県合併した地域で合併と同時に廃校となっているわけです。よって桐生市の資料よりは田沼町の資料を探したほうがよいのかもしれません。先日、桐生川をはさんで学校の対岸(地名は東実平(とーじっぺ))にお住まいだった方にお話しをする機会もありました。当時は学校前に橋(おそらく根本橋)があって群馬の子も学校に行っていたそうです。

山峡の小学校

山峡の小学校
山峡の小学校

「我が愛する郷土 桐生百景」では「山峡の小学校」として絵とともに紹介されています。公式な記録ではないので伝聞の要素がありますが貴重な資料だと思います。最後の校長・藤倉喜代丸氏の話しではもともと大正院の寺子屋として氏の祖父、藤倉若丸氏が開設・初代校長に就任。二代目校長は息子さんの逞治(としはる)氏、三代目校長は足利から士族出身の小川定之氏。そして喜代丸氏がその後から廃校まで担当されたそうです。廃校時の生徒数は52人、教師は5人。このときはまだ桐生川ダムの建設が「話し」としてあがっている段階でした。

廃校

廃校
廃校

「我が愛する郷土 桐生百景」では「山峡の小学校」の他にもうひとつ「廃校」というタイトルでもう1枚紹介されています。このときはすでに桐生川ダムの合意がきまったあとで藤倉喜代丸氏もこの本が出版される1年前にお亡くなりになったことが書かれています。

30cmのニジマス 2週間ぶりの釣果

学校跡にはそんな逸話が残っているんだと今日も梅田湖で釣りをしながら想像を含まらせていました。しばらくすれば学校跡も水位上昇に伴って水没すると思われます。「魚の学校」になる季節がきたようです。

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